2006年02月14日

比企能員の乱に加筆

おはようございますーKanbunです。

以前削除依頼を出した比企能員の乱が存続になったようなので、加筆しました。

比企能員の乱

単なる北条氏の謀略で片づけがちな事件ですが、あえて「事件の真相」ないし「事件の背景」として記述するなら、それにとどまっていてはいけないと個人的には考えます。
ただ客観的な事実のみを紹介するのがWikiペディアの趣旨であるならば、この部分は蛇足であるともいえますし、余計なものであるといえましょう。元のままではあまりに短絡的であるとおもい、加筆しましたが、加筆したらしたでむしろ「事件の背景」部分から全部削除したほうがいいような、複雑な心境です。

最後に細かい内容になりますが、一幡と千幡の諸国守護職分掌についての『吾妻鏡』の記事が捏造とされていますが、慈円の『愚管抄』に頼家が一幡に全て譲るようにしたらしいと書かれているだけで、それを根拠に捏造というならそれは根拠薄弱であると思われるので削除いたしました。実際五味氏のほうは『吾妻鏡』の記事をある程度信用しているようです。客観的な事実で捏造であると証明されているわけでもないようですので、ここについては基本的に『吾妻鏡』を信用するのがWikiペディア的な見方だと思われます。

政子が障子から云々の部分がありえないという部分も同様の事情で削除してあります。削除依頼のときにも書いたのですが、政子の障子云々については石井氏の「頼家近臣にスパイ説」の導入でありますので、ここにスパイ説が書かれていない以上必要のない記述です。またもともとの執筆者がこれをもって『吾妻鏡』の記事が信頼できないように印象づけようとしている気もします。というよりスパイ説が記載されてない以上、そのような意図でしかこの記述の存在する意味がないように思われます。
posted by Kanbun at 04:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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